多分全ての受験生が、ひっくり返った日。

1969年1月19日

奇しくも今日は、49年後のその1月19日。


東大安田講堂事件。警視庁機動隊が、東大安田講堂に籠城していた全学共闘会議の、封鎖を解く。


文字にすればこれだけなのだが、封鎖に至るまでには、壮絶な攻防が、繰り広げられていた。

火炎瓶、催涙ガス、放水…

国家権力相手に学生が勝てるわけもなく 結果は早々に 分かっていたはずなのだが。


その朝の、加藤総長の、「本年度の、東大入学試験は中止します」という会見放送。

私たちは、試験のためにすでに自宅学習という休み体制だったけれど、すぐに高校に集まった。

志願先をかえなくてはならないか?それとも受験せずに浪人するか?


ラ・サールのトップの生徒には、早、新聞社が、取材に来たらしいとか、

東大受験組は、京大に流れるやろ。

影響受けるのは、京大だけ違うよな、玉突き事故みたいなことになるよな…

などなど

とにかくどうしていいのかわからずに、不確かな現状把握、不安、

ても、誰もが自分からどうするとは言わずにその日は、帰ったと思う。


東大の、願書に貼った写真を、ペリペリと剥がし、もうどこでもいいやと、思っていた。


東大は、ギリギリのラインでの受験。

絶対にミスしないぞという決意と、大丈夫、必ず合格するという根拠のない自信。

実力以上に、厚かましさだけでの、出願。


しかし

自惚れ強い自分でも 流石に 京大に振り替えられるほどの実力はないと、自覚した。


じゃあどこ?


もうどこも合格する自信が無い。

データが、自分の中にないからだ。


どこでも良いので合格しそうな所でおねがいします。

関西圏に、頼れる親戚はいなかってので、大阪も神戸も怖かった。

九州からは、出たかった。

一年浪人は、諸事情のため、できなかった。必ず合格する所…

あーでもないこーでもないと考えるのもうっとおしく、どこでも良いからと、結局 親に決めてもらったようなものだ。



長い間忘れていた受験の思い出。