時々シード
この写真は、彼女が亡くなるほぼ一年前。車椅子で、元気に歩き回っていた頃の写真。
こちらは、車椅子に乗るべく、待機中。腰から下の自由が、きかないので、後脚を前に投げ出し、前脚で、身体を支えている。
どうしてもという時は、前脚だけで、いざって移動する。
はじめから、"躄る(いざる)"という歩き方をしたわけではない。
ある日、夜の散歩から帰って、車椅子から降ろし、彼女のスペースに、彼女を置いて、ローソンへ。娘と二人で門まで来た時、なんと、ワンワン言いながら、自分の前脚だけで私達を追って来たのだ。「もっと散歩したかったのに、私を置いて二人でどこ行くのよ!」といわんばかり…
どうしても、自分で移動したい気持ちから、動いてみたら前脚だけで、動けた…という感じだった。
その時は、そこまでしても、一緒に行きたかったのか…
幼い頃、母に置いていかれて、その後を追っかけた時のような気持ちが蘇り、思わず ごめん ごめん。
彼女にとっては、あくまでも、緊急、短時間、な、移動手段。そうでなけれは、お尻が擦り切れてもたない。
後脚を、事故で使えなくなった猫ちゃんが、それでも、自分を可愛がってくれる飼い主のお兄ちゃんと一緒にいるうちに、ある日、とうとう、逆立ちして歩くことを覚えた。という放送があった。
すごい…でも、シードには、逆立ちは無理だろう。10kg以上あったし、前脚はかなり頑丈であったけれど、ヘルニアで、背骨が彼女の身体を支えるには耐えられない。
それだけに車椅子に乗ったら、別人いや、別犬だった。
ヒイラギの花が、咲いたよ。その弍
散る散る…
昨日、一昨日の風で、盛りを過ぎつつあった花々が、思い切りよく散った。お隣のガレージや、家の前の道路、散ってしまったら、花も、ごみ。慌てて掃除。しかし、中々片付かない。今日も、朝の道路掃除。
でも、最後の花たちが、まだ、薫りをたてている。
お隣さんには、お会いしたら、ごめんなさいを言おう。暫くご辛抱いただいて…
時々シード
塾へ行く途中に通る商店街は、お買い得な物が、多々ある。青果も、魚類も、肉も、衣服も。薬も。お菓子も
で、いつも、キョロキョロ…
今日も、キョロキョロしていたら、お買い得品ではなくて、シードと同じような車椅子に支えられたミニチュアダックスフントを、見つけた。
思わず声を掛けた。緑寿ともなると、見知らぬ人に声を掛けるのに躊躇などない。
ヘルニアになったが、手術しても治らないと言われたという。ひょっとして、シードがお世話になった車椅子工房で 作られたのかと尋ねたら、そうです。と、返ってきた。
車椅子のおかげで、三年以上、元気に走り回ってくれた。車椅子に、出会う前は、腰に、後脚用のハーネスを付けて出かけたが、わたし達もシードも、なかなか、ハードな、散歩だった。お互いの歩調が合わない。シードは、兎に角 先へ先へ、走る。私は中腰で追って行く。腰が悪いとはいえ前脚は、逞しい。中々その早さについていけない。
動物病院で、犬用の車椅子がある事を紹介され、探してみた。
外国製の、メカニックなものは、サイズアバウトでも、フィットするし、直ぐに手に入るという事であったが、7〜10万円かかるという。うーむ…
ネッとで、さらに探すと、近くで、一頭一頭のサイズに合わせて手作りして下さる工房を、見つけた。2〜3万円で、出来るという。ただ、注文が、多いので、三カ月待ちになります、と言われたが、そこはもう躊躇しなかった。我が腰の未来が、見えなくなりそうだったからである。
12月末に予約して 、出来上がって来たのが、3月3日。
装着して暫くは何がおきているのかわからなかったのだろう。きょとんとして動かない。そろそろと、前足を踏み出すと、"ん?"
自分の意志で歩いていることに、気がついたのか、タタタ…と、走り出した。速かった。急いでリードを、持って後を追いかけた。
それから三年、たっぷりお世話になった。
記憶は、薄れて行く。消えてしまわぬうちに書き残しておきたい。
ミニチュアダックスフンドの車椅子を見つけて、少し忘れつつあった事柄を、手繰り寄せてみた。
正倉院展を見に行きました。
これが、芸術なのかどうかは、少し判断に迷います。でも、この時期 毎年 新聞配達の方が、欲しい人に差し上げますと、無料券をくださるのだ。もちろん早い者勝ち。言ったもん勝ち。厚かましくも、三年連続当選。
昨日で、展覧会は終わったようだが、我々は、11月2日に、観に行った。
次の日から、正倉院展の、記事が、楽しみであった。
これ観たわ、これ良かったな…等々。
今年は何故かわからないけれど、昨年より、良い印象を持って帰ってきた。何が理由なのかはわからない…
伎楽の面、飲みにくそうな、長円形の杯、ハープもどきの楽器の原型、漆塗りを、施した鹿皮の鏡の容れ物。
帰りには、飛火野の鹿と紅葉 も、愛でた。
満月に近い月を、添えて…
ヒイラギの花が咲いたよ。
先月末には、沢山の蕾をつけていたので、もうすぐだと、思ってはいたが、6日の夜、咲いているのに気がついた。いっせいに咲いたようである。
独特の薫りは、好き好きかも知れない。この花木と出会った頃は、この薫りは、むせるようであまり好みではなかったが、いつの間にやら、気になり始め、今では、惹かれる薫りとなってしまった。
買い物から帰ってくると、この木を矯めつ眇めつ、ながめていらっしゃるご婦人があった。彼女は、お足が、不自由なのであろう、手押し車を支えにしていらっしゃった。
直線通りなので、遠くからずーっと見えていたのだが、なかなか立ち去ろうとしない。
とうとう私は、家の前に来てしまってどうしても話をせざるを得なくなった。
彼女は、何回か家の前を通るたびに、そして 私の知らぬうちに、私がこの家のものであるということを、認識していらっしゃったらしい。
シードが、いるときは、朝夕の、散歩や、世話で行き交うひとと、誰彼となく良く挨拶をしたり、短い会話を、していたから、このご婦人とも、何回か挨拶を交わしたことがあるかも知れぬ。
もう咲くんですね。この薫りが好きなんです。てっぺんから、下の下まで、いっぱい花をつけてますね…などと、仰る。
この辺りでは 、うちのヒイラギは、かなり早く咲くし、もう少し北へ行った、西の角のお家は、我が家よりも半月ほど遅く咲くこと、とか
雨の前、後は特に薫り高くなることや、1週間ほどで、終わりになることなどなど…お応えした。
1週間なの… 毎日 通ろ…と、呟いて、立ち去られた。
二階の窓を開けると、家中に、ヒイラギの薫りが、飛び込んで来る。
小さな、贅沢な時間を、しばらくいただきます。
そうそうこんな事も…
テレビの話が続くけれど。
今度は CMの話。
高齢のお父さんが、家でゴロゴロしている。何もやることない…夢が無い、希望が、無いという感じでいると、娘らしい登場者が、叫ぶ。そんなことないやろ!と。
で、お父さん、ガバッと起きて、まだまだ夢もやる事もあると、元気に仕事に向かうのだが、警備の仕事、清掃の仕事の二つが、後ろで、ピカピカしている。
一緒に、テレビを見ていた我が娘が、叫んだ。
年寄りは、警備の仕事と、掃除の仕事しなさいって言ってるみたいやな。
高齢者に仕事を、と叫んできたけれど、こんな形で解消されたら、嫌だな。
警備の仕事にたいしても、清掃の仕事に対しても、社会意識的に、高齢者の仕事というイメージを植えつけるのは、如何なものか。難しいで。
高齢者には、清掃や警備の仕事しかできない、と いうイメージ先にありきではない?清掃や警備の仕事に、誇りを持って従事している人々に対しても、失礼な話。
もう少し、繊細なCM作りをお願いします。