犬の話
彼女は、捨て犬だった。動物愛護協会で保護されていた。保護されていたとは言え、引き取り手がなければ、行き先が、決まっている。
夏休みに、捨て犬を欲しい人に差し上げる というイベントがあった。その頃小学生だった次女が、犬を飼いたがっていたので、イベント2日目に、夫と三人で、参加した。
既に1日目に多数もらわれていったらしく、残り組み10数匹が、愛護協会の庭で遊んでいた。引き取り希望者が全員での ジャンケンくじだったが、なんと、次女は一番を勝ち取ったのだ。そして、残り組みの中で一番小さいが、一番元気そうで 黒くて耳のピンとたった、彼女を選んだのだ。
ぐんぐん、すくすく
暖かくなってきたせいか、成長著しい。
犬が死んでも ペットロスとか、世間で言われるものなどにはならないわ…と思ってたのに。ロスまみれ。
もう一月半も経つのに。
そもそも、犬嫌いだったのに、敢えて飼うことになり、しぶしぶ付き合い始めてこうなった。
こんな子
その子は、こんな犬でした。
女の子、享年19歳。三年前からヘルニアを患って車椅子生活をしていました。
最期は重い腎臓病で、亡くなりました。
今頃虹の橋で、私を待っているかとおもいます。
すくすく
元気に伸びてます。
この土の下には愛犬が、眠っています。芽が出るとあの子の「気」が出ているようで、嬉しい。人間様の勝手な思い込みなんだけど。
芽
芽が出た。1ヶ月待った。ダリアの芽。
わかる?
神頼み
就活がうまくいきますように、と、近くの神社へお参りしてきた。
別に、神様の存在を信じてるわけではない。いや、むしろ立場上、神様はいませんと、いうべきなのだが。
祈るということ、と、神様の存在を信じることとは、別。
神様は、誰一人、同定したことはない。自分の内面にしか存在しないから。
草にも木にも石にも自分が神様の存在ありと思えば、そこにあり、そして祈れば 神様だ。
自分の魂を、投影する相手が、神様だ。
神社として特別にしつらえてある処は、だから、ありがたい。