親だったけど、親でなくなったんだ…

書くのも、迷う事実。


長女が帰ってきて、買い物の袋をリビングのテーブルに置いていた。

中身はパンだということは、わかるのだが、私はさらにどんなパン買ってきたのかと、いう好奇心から、袋をのぞいた。のぞくためにそれなりにかなり大きめに開けた。

食事中も、テーブルにそのまま置いてあったので、娘たちの前で、袋を開き、塩パンを見つけた。

「この塩パン、食べていい?」

その時点で何となく、険悪な雰囲気を感じたのだが、それでも、「どうぞ…」というので、厚かましくいただいた。

少しして、「お父さんと一緒やな。」と、次女にいうのである。嫌な感じの言い方に、流石に、「ん?」と、返したら、「何故人の買い物の荷物を開けるか?」というのである。思いもよらない指摘に、心のなかを、冷たいものが走った。

…さきに、言い訳をしておこう。この母は、実に、気楽に娘の買い物の中身を、確かめたのだ。テーブルの上にどんと置いてある。その中身は、母が買うとしたら、考えられない程の量の菓子パン類だと、外からわかる。

だから、家族で食べるために、買い、そして、テーブルに置いたと思ったのだ。

無邪気に、「塩パン食べていい?」と聞き、そして食べた母は、ここに至って 自分の姿を情けなく思い惨めになった。

ごめんなさい…と言ったものの、納得できずにいると、次女が、たたみかけるように、「前も言ったよね。人にあげるものだったら、どうするの…」

…そこまで、無神経な開け方してないけど、と思うのだが。

リビングに置いてある荷物を、「これなあに」と、気楽に検分するのは、母の癖というか、習性でもある。

それは許されると、思っていたのだ。この子らは、小さい頃から、私の荷物に、興味深々で、何でもかんでも、顔を突っ込んで確かめて来た。母の領域に、鍵なんてかけられない。子供にとっては、そこは世界の入り口。許された。勿論、野放図に、許した訳ではないから、ときには、「めっ!」ということもあったろう。


惨めさに、涙が、出そうになった。親だからいいではないかと言いそうになったが、子供らの答えが、予想できたので、言わなかった。

親ではなくなったのね。

同居しているただの大人、いや、ただの年寄りになったのね。

ただの洗濯おばちゃん、ただの飯炊きおばさん、ただの小間使い…なのね。

気持ちを整理できずに、その場を去った。

些細な事ではあるし、さらりと、ごめんなさいをいうて終わらせても良い事でもあるが、子供との距離、立ち位置を、考え直さなければならなくなった。

親は子供に甘えてはいかんのだ。


亡くなった母に、心の中で訴えている。

「お母さん、哀しい…」

母と私の距離と、私と娘達の距離は、等しくないのだ。