記憶の整理、其の五。

昨年はOKだったのに。今年は融資ができませんという理由がわからなかった。

娘達と我が夫婦つまり家族全員で、返済するということで、昨年は融資を引き受けていただけるということだった。

 娘達の年収は、昨年より上がっているのに。長女一人分の収入でも充分いけると思いますと、 Aさん。

となれば、親子間売買が、

駄目と言うことなんだろう。

ほかには、例えば、娘なのでいずれ、嫁に行く…家を出る…老夫婦2人になる…などの理由もあったのか。


いや、それ以前に、 既にAさんの領域ではなくなっていたのかもしれない。

…それは後から私が考えたことだけれど。


その時点では、まだまだ私は、 Aさんのことを、信じ切っていた。

そこが駄目なら、ほかの融資先を、 Aさんが、探してくれるということも、信じ切っていた。

いくつか当たってみますね。と、いう姿勢であった。


金策と、

金策がうまくいかなければ家を明け渡すという前提で、3月15日が、落札業者から提示されたタイムリミットとなる。

金策と、賃貸物件探しを、同時にする事となった。

長女は、勤務先に事情を話し、1週間の有給をとる。…これはしかし後で、上司に、チクチク言われる事となる…


一方で落札業者の代理人Yさん。

 Aさんのことがあったので、

最初から彼のことを信用する気にならなかった。

しかし、買い戻しの話を、受け入れてくれて融資先を、彼も探してくれた。 

Aさんと同じ様な銀行を挙げて次々と当たってくれたが、親子間売買ということがやはり、ネックとなる。 

Aさんは3月8日までには、最終望みをかけていた銀行からの返事をもらえるから、連絡しますとのことだった。

その日が過ぎても、なかなか連絡がとれない。

待ちきれずに、直接会社へ電話を入れた。


 Aさんは先週から、行方が分からないという。出勤してこないし、家にもいない。結婚したところだが、その奥さんとも連絡取れず、会社も、困っているということだった。

記憶の整理、四。

落札した業者の代理人が、やってきた。

明け渡しの相談。


しかし私は、まだ、 Aさんが、買い戻しまで付き合ってくれるものだと思っていたので、買い戻しの話をした。すると、代理人の、Yと言う人は、

ならば、その方向も検討させてくれと言う事だった。


再び Aさんのところへ親子三人で出向き、

買い戻しをする方向である。落札業者も、そのことに前向きであることを話しした。

すると、では、買い戻ししましょう。その為の金策を、考えましょうと。


任意売却ができると言う前提で、紹介してもらった、銀行に、彼は連絡を取ってくれた。既に一年経っていて、担当者も変わっていたが、昨年融資OKだったから、大丈夫ですよと言うことであったが、

しかし

融資は、できませんと言う。


そこからが大変だった。


その三。記憶の整理。

親子間の任意売却がうまくいかなくて、

 Aさんは私に、保証会社の担当者である片山という人に、当事者である私達から、任意売却を認めて欲しい、親子間売買を認めて欲しいという説得をして貰いたい…本人たちの熱意を伝えて下さいと言われた。

情に訴えろと。

しかしこの片山と言う担当者は、頑なであった。何一つ心動かすこともなく、

駄目の一言。

そして競売にかけられる事となる。

その時点でも、私は、買い戻しができるという望みを持っていたし、買い戻せると、確信していた。

年があけ、1月4日から、入札ということになり、一月末、2300万で、落札された。



記憶の整理。二つ目

家計が、怪しくなると、人間関係が怪しくなる。特に一家の支柱であるはずの夫とは、常に緊張状態であって、このまま黙って家を出て行こうかとか、離婚届を取りに行こうかとか…


しかし、今は、記憶の整理を先に。


兄が亡くなり、愛犬が亡くなりした頃、ローンの支払いに耐えきれなくなる。

このままでは、駄目だ、なんとか手を打ちたいと、あれこれ探してみた。もちろんネット。

で、任意売却支援機構なるものを見つけた。

夫を説得し長女と、三人で、相談に出かけた。あくまでも売却先は、長女という、つまり親子間売買である。

ネット上の広告では、その親子間売買も可能であるという風に、受け取れたし、実際相談に行った時、親子間売買しか考えてない事を、つたえた。

まだその時には、ローンの滞納はなかった。


相談に行って、どうすれば良いかとたずねると、親子間売買、任意売却を進めるには、取り敢えず、ローンを支払わずに滞納しましょうということになった。滞納すれば、やがて、銀行、住宅金融公庫、保証会社が、動くのでそれを待ちましょう…という事だった。


で、やがて、銀行から、住宅金融公庫から、督促が来るようになり、保証会社が、打診してくることになる。

任意売却支援機構の Aさんをとにかく頼りにし、彼の言うままに、滞納を続ける。

で、親子間売買が、成立すると言う見込みの元、新たに任意売却によるローンを組む手だてをとった。その銀行は、親子間売買でも、融資してくれる、ただし、少し利率は高い。 Aさんは、

2年間辛抱して、ローンの借り換えをするといいですよ。

とアドバイス。その時の任意売却価格は、約2800万。

で、その後、任意売却が、成立しなかった場合は、つまり、どこかが…銀行・住宅金融公庫・ローンの保証会社…親子間売買を認めなかったなると、競売にかけられると言う筋道であった。

競売にかけられると、任意売却価格よりはるかに価格が下がり、債権を回収出来にくくなる為、大抵、任意売却価格で、手を打つことになると。


しかし、保証会社が、うんと言わなかった。

 Aさんはによると、担当者次第なんです。親子間売買を認める担当者もいるのですよ、競売にかけるよりは沢山、債権を回収できる、と言う観点で。

と言うことであった。


私たち、少なくともに私は、 Aさんを、とにかく信頼していた。


任意売却がうまくいかなくて競売にかけられたとしても、買い戻しという方法があります。

そこは、最後の手段です。 Aさんはそう言っていた。


まさかそこまでいくとは思わなかった。

ヤバイ!記憶が、薄れてきた。

我が家が競売にかかることになった経緯。

やはり、記憶が新しいうちに、記録しておかないと。

日が経つと、どうでもよくなってくる部分があって、

その上に、以前と生活もほぼ変わらず、

となると、まるで何事もなかったかのような気がしてくる。

そしてまた、記録という長々しいことになると、面倒…


しかし、今年の1月から3月まで、つまり平成最後の数カ月間は、怒涛の…と言っても良い日々だった。

少しずつ分けてでも書き留めておこう。


その第一弾。

始まりは、夫の、リストラ。

私が、大学院に再入学した頃で、学費も何とか支払って行けていた。支払っていけるという見通しで、あったから、再入学したのだけれど。


リストラされた時、次女も、大学に在学中であったので、夫が、

「子供が、社会に出るまでは…と思ってたんだが」と、口惜しそうに、言ったのを覚えている。

リストラされてしばらくは、何とか生活も成り立っていた。


しかし、夫の再就職と言うか、65 近い歳での、独立開業というのは、決して、どころか、全然うまくいかなかったのだ。当たり前っちゃあ、当たり前。

ごく普通に、想像できる。

その通りになり、

ローンの支払いに苦しむことになる。

へいきちの戦略

へいきちが、うちの塀のうえに、頻繁に訪れるようになったのは、シードが、亡くなってからである。

塀の上にいるので、夫が、へいきちと名付けたのだが、果たして、

彼か、彼女か、分からない。多分彼女なのだろう。

年齢も、分からないけれど、若くなさそうだ…(しかし夫は、まだ、若いんちゃうかと、言う。こちら様には、抵抗しないことに決めて、生活の安寧を保っているので、

ああ、そうですかね~で、済ましている。)

暫くは、塀の上に。

冬場になると、給湯器のうえに、移動。

寒いのね。

と思って、シードのために買っていた屋根付き座布団を、用意してやった。いつのまにか、そこで、こそっと昼寝していた。

さらに寒くなったら、カイロを一つ二ついれてやると、そこは、あたかも彼(彼女)の、own room。

温かくなって、最近、夏日とかになって来ると、この、屋根付き座布団を、敬遠するようになってきた。

塀の上が、涼しいのだろう。

塀の端っこは、ヒイラギの枝葉で、隠れている。水撒きをしていて、そこで、寝そべるへいきちに、びっくりしたことがある。


こんな時とか…


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冷たいコンクリートの上を移動して、暑さ凌ぎ…

おくつろぎである。



そうそう、冬場。

中庭に面しているガラス戸と、網戸を閉めて寝るのだが、なぜか、外側の網戸が、数センチ開いていることがあった。

夜中、気付いた時に、締め忘れたのね…と、しっかりと閉めるのだが、翌朝また、数センチ開いている。

そんなことが、度々あり、みなで、不思議がっていた。

風…

ヒト…

猫は開けられんやろう…

探偵ナイトスクープもんやなぁ。


それが、最近へいきちのしわざであることが、判明した。

朝、夫が、たまたま、ほんの少しガラス戸を開けていた日があった。

網戸は閉まっていた。

すると、その日遅出した、次女が、階段を降りようとして、「うわっ」と。

部屋の中に、へいきちが、入って座っていたのだ。

声に驚いたのか、へいきちは一旦、飛び出したものの、暫くすると、夫の仕事場に、入り込んでいた。

夫が、本を片付けようとしていたダンボールの中に、鎮座していらっしゃった、のだ。


雨がひどく降った朝、ニャアニャア言うので、網戸だけ閉めて、部屋側に、そのダンボールを置いてやったのだが、入って来る気配はない。

仕方なく、夫が、旧へいきち邸のベンチの下に、ダンボールを、置いてみると、するっと、そこに収まり、その日は、そこで一日寝ていたようだ。


旧へいきち邸には、もう戻りそうにない。


家の前にあんなタオルのはみ出たダンボールを置かれたら、汚ならしいからやめて。と、次女がいう。

昨夜。

うるさかった。

ニャアニャアニャア…どうして欲しいのかしら。

体をひっくり返して、のびます…

コンクリートのかべに、頭をゴリゴリします…


はいりたいのなら、入れば良いのに。

開けてあるやん。ガラス戸も。


風呂に入っている間に、なにやら騒がしいと思ったら、

長女が、「二階まで上がってきたわ。」


こんどは、タオルでなく赤い敷物をダンボールにいれて、部屋側の例の網戸の前に、置いておいた。


今朝、しっかりそこで、寝ていらっしゃるのを発見…

うーん。

どないして欲しいの?

飼い猫にして欲しいの?

ならば、私をみて、逃げないでよ。

娘たちが、帰ってきたら、スリスリ、ふみふみするらしいのだが。

こそっと入ったところが、見つかると、脱兎のごとく、外へにげて行くのだ。


取り敢えずダニ怖いし、ノミもイヤやから、体にふりかける、薬を買って来るわと、次女が言う。


長女は、動物の毛のアレルギーで、3分もすると、鼻水と涙まみれになる。

シードのときは、それを堪えて、撫でていた。夕べの、騒動の後も、鼻水、ズルズルしていた。


ほんまに飼うんですか?


いうても、

最初に、えさ買ってきたのも私やし

シードの屋根付き座布団を整えたのも私、

カイロ入れたのも私で、

なんか、一番責任あることをしているのは、私なんだけれど。

「家のことが落ち着いたら、飼ってやっても良いよ。」と、呟いたり、してたのは、私だけではなかったらしく…


「家のこと落ち着いたら、飼ったやるって言ったじゃん。」と、


約束の履行を、へいきちが、実力行使しているのではないかと。思う日々。

嵐のあとの…

家が競売にかけられ、落札され、そして、落札業者から何とか買い戻し、元の生活を続けている私たち。

あらたな、返済スケジュールを、何とかこなさなければならない。

取り敢えず、家のローンの補填のために、過去に、色んなところから借りたお金の返済を済ませば、何とか、年金で、やりくりできるだろうというところまで来た。


子供に、かなりの負担をかけてきたし、これからも、かけるのであろうけれど、二人とも今のところ、快く、引き受けてくれている。

結婚とかの、新たな事態がうまれたら、また、考えなければならん。

親として、子どもたちに、いつまでも、負債を負わせるわけにはいかない。


あと二年頑張れば、JCBから借りたお金や、政策金融公庫から事業資金として借りたお金、更に、私が、債務整理して絞りに絞った、カード会社への、返済。


あと二年。

目処がたった。

それまでは、頑張って働こう。

身体大切にしながら頑張ろう。ここで、くたばれない。病気したくない、大病になる前に、病気は抑えよう。

慎重に…



競売に至った経緯は、また、今度。

なかなか、一筋縄では、いかない経緯。

それでもうまくいったのはかなりの、幸運。何に感謝して良いのか。