科学論文

小保方さんのSTAP細胞発見の論文が センセーショナルに報道されて、

そのあと、データが、ねつ造であったという曝露により、さらに、一層センセーショナルな事態として、展開された。

4年前のことである。

世界的に有名な論文誌に発表されてから、クレームがつくと言うのは、その論文誌の、チェック態勢が甘かったからだろうと思う。


っていうか、論文を、査読する人が見逃したか、適当に判断したか…

査読も、複数の人がするから、互いに依存しあってたのかもしれない。

投稿論文も多くて、査読が追いつかないというか、査読するprofessorが、「自分の、研究をやってられん」くらい忙しいらしい。


 個人的には、歴史的な科学的発見を、この若い女の子が、やっちゃった、ということに、かなりの嫉妬心を、覚えた。

彼女とは、遠い世界にいるから嫉妬心で済むけれど、


彼女の近くで長年 同じような研究をして、かつ、苦労して苦労して、結果に、辿りつけていない先輩達もいたに違いないから、

その先輩達には、「まさか…」という、嫉妬心をはるかに超えた

疑問が湧いても、いた仕方なかろう。


でも、そのせいで、その後の、論文の査読は、厳しくなったと、思う。


今日は、ここまで。

 


今週のお題「自己紹介」

自分がする場合だけど…


自己紹介ほど嫌いなものはない。


相手にはさせたい…かもしれん。


サァ、自己紹介タイム

という設定でやるのは、特に 好きではない。



趣味も特技も特にない。

賞罰なし。

見ての通り。

出身いうのも嫌

出身大学いうのも嫌


名前、特にない趣味、特にない特技を

しぶしぶ言うて、自己紹介をすませた後、

次に立った人が、センスあることをしたり、気の利いたこと言った日には、

何も言わんほうがマシやったなと、思う。


書きにくいお題や







今週のお題

お花見🌸を楽しむ!ですと?

散っちゃいました。f:id:mmarycury:20180403222925j:plain

1週間前5分咲きだから、週末にでも、お花見にいけるかと、たかをくくっていたが。

あっという間に、葉桜に。

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よそ様のお庭も、花びらを、ハラハラと

こんな感じ。

良き風情。


でも明日は、掃き清められているのだろうな。

生きるもの

青梗菜に、穴が空いてる。

まるい、のやら

涙のつたった跡のような、のやら

内側の葉にも


やっぱり。

濃い緑色の、丸い塊…

どなたがいらっしゃるのか知らないが。

おそるおそる

葉をめくる。


もう立ち去った後かしら


ふにゃっとしたものが、指にあたる。

朝からさけび声を出すはめに。

はたいた途端に、排水溝へダイブ。

ごめん。

この青梗菜が、収穫された時点で、あなたは成虫にはなれない運命だったのです。


ほんま、ごめん。

別れの時、春。

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大学へ荷物を片付けに行った。

構内の桜が、咲き始めていた。五分咲きというところか。大学の記念館の裏手のこの桜は、毎年美しかった。今年は満開の姿をみることはない。

とはいえ、三年間休学した上での、今日。

とうとう終わりかという、失望感は、さほどではなかった。すっかりあきらめていたから、寧ろ もう悩まなくて良いという、安堵感の様なもの…

五年間、仕事しながら週に3日か4日通いながらの、学生生活は、充実していたが…

まだ、全て書き出す心のゆとりはない。


また、という事も

もう一度という事も、ないだろう。

仕方ない

しかし、本音が、心の底で騒いでいる。

シードアルバム

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インスタグラムが、流行るわけがわかった。


文を書かないぶんだけ、楽チン。f:id:mmarycury:20180331210312j:plain


シードが、腰を痛める前の写真。

しかしこの頃はかなり腰が、悪くなっていたのか、なかなか二階まであがってこなくなった。こうやって、玄関先に、自分の居場所を、構えていた。

そして、二階の話し声に聞き耳を立てたり、誰か降りてくるのを楽しみにしていたり…。

若い頃は、いつのまにか二階の、リビングの前で尻尾振っていたこともあったのに。



彼岸

3月21日は、彼岸の中日。去年シードが、旅立った日でもある。

雨。

去年も雨だった。

岡山まで、お墓詣り。 

レンタカーにて。

長年、盆と正月、春と秋の彼岸に墓参りしているが、これほどの雨にあったのは初めて。

掃除もそこそこ。線香もすぐ消える。花を入れ替えて、夫が読経して、手を合わせ

終わり。

祖父が、住職をしていた寺の墓地に先祖代々の墓がある。

その墓とは別に戦死なさったおじさん達の墓。

生まれてすぐに亡くなった甥っ子の小さな墓。

そして、お寺の敷地内に住職をしていた祖父の墓。

さらにそれとは別に、かなり遠く離れた別のよそのお寺の墓地に、亡くなった父が生前お世話になったという人のお墓があるので、彼岸には、そちらへも出向く。

なにかの年忌の時に、経をあげてくれた僧が、「盆暮れより、むしろ、お彼岸のお詣りこそ、ちゃんとなされよ。」と、おっしゃっていた。亡くなった人にとっては、お彼岸が、大事なのだそう…

 しかし、そろそろ、夫の運転も怪しくなってきたので、墓参りを考え直す時期に来ているかとも、思う。

 お墓…ね。


 そもそも、自分の墓の事を考えるに、

私の墓は要らないよ…とも思う。


でも もし、鹿児島の実家の庭、錦江湾を一望するあの庭、薩摩半島の向こうに、沈みゆく夕陽を望めるあの庭に

設えてくれるなら、作って欲しいかなぁ…

墓参りは要らない。

いつか無縁仏になるままに、放置しといてくれていいから。


花は何の花、ツンツン椿。

水は天から貰い水…

それで、充分。

5〜6年もすれば綺麗に分解されるかと思う。