就活 そろそろ終わりにしたい…

スマートフォンやパソコンの就活サイトからの応募は、全部で、10。そのうち履歴書を送る前に断られたのが、2。

「履歴書を、送ってからの対応だから履歴書を送るように」言われたが、送らなかったのが 1。写真品切れのため。

 そういう返事すらなかったのが 、1。(サイトに登録するな)

 履歴書送ったが、採用なかったのが 、2。履歴書持参で面接してだめだったのが、1。履歴書送って、二次試験・面接に進んだのが1。これは只今待機中。

 あと残りは、いわゆる派遣会社に登録。二つ。しかし一つは、福祉関係の派遣会社だったので資格の無い私は時給もぐんと下がる訳だし到底 求人は来ないかと思い、取り下げ。残り一つの派遣会社からは良く仕事案内のメールが来るのだが、急な仕事が多くて、対応できなかったり、遠かったり、時間が合わなかったり…行きたいから、詳しく知りたい旨のメールを送ったが、返事がなかったり。

 なので、待機中の、二次試験頑張ろう。

 これでだめならハローワークにも行ってみよう。

 

まず、ハローワークに行くべきだったかな?

就活…年齢の壁は高い。

記事を書こうとしたら、「塾講師の募集」というCM ? が、展開された。

こういうのは、親切?

この手のサイトは うんざりするほど ありまして、そこを使って 「只今、絶賛就活中。」ですが。

 でも、年齢の壁はなかなか高いのですよ。   書類審査でアウトになったのが、2 。多分 今日 3 になる。これはほぼ、年齢が、理由。

 面接で、アウトが 1。面接は、何が駄目だったのか、確かな理由はわからないが、「ここは、若い方が多いのですが、そんな中で、働くのは大丈夫ですかね?」という質問が、あったことから、一つの理由では あっただろう…他の理由は、何だろう? 面接していただいたとは言え、ここは いきなり履歴書持参の面接だったから、実物を見て、何らかの瑕疵があったと言うよりは、 できたら履歴書レベルで、断わりたかったに違いない。because  面接官が、「え、他は、履歴書を送ってからですか?。」と、のたもうていらした。

 

サイトを使って応募するときは、アバウトな履歴が、予め知らされているから、応募しても返事も来ないとこもあるし、追って連絡しますと言ってそれっきりの所もある。む?と思うが、むしろ親切。履歴書も、写真も、ただではない。面接などは、交通費使っていくのだから。無駄にした。

 65歳以上は駄目という一文を、いれるとか、はっきりと年齢条件を書いていただきたい。65歳以上でも、尚 採用したい人であれば…ということか。「65歳以上でも、尚 採用したい人」では、なかった訳だ。

 グチャグチャいうても、詮無い。

 昨夜、新たに2件応募。以前は、ここは難しそうだから…と遠慮したとこも、怖くなくなった。遠慮がちにやるのはあかん。ドンドン行こう。

昨日は、派遣会社の登録会に参加して登録してきたけれど、確かに、やれる職種は、限られてきたかな。軽作業、事務、接客…🤔


五月晴れ

今日は 曇り。

お天気おじさんによると、五月晴れというのは、年平均1.9日しかないらしい。今年は、既に1日使ってるので、あと、0.9日しか余裕がないらしい。

成る程、それでか…

いや、物の本によると、旧暦皐月は、新暦の、梅雨の頃だとか。

 五月雨は、梅雨。五月晴れは、梅雨の中休みの晴れ。だから、そもそも 五月は五月晴れに恵まれるという感覚が、間違ってたわけです。

勉強になりました。文句タレのおばさん。



母の日

はは、と呼ぶ人は、もう既にいない。姑。実母。対照的だった。姑も長女、実母は、次女だったけれど、姉を早くに亡くしていたので、実質的な長女。ふたりともに、妹、弟の面倒をよく見ていた…と思う。長女という立場が必然的に為せる役割だったか。

姑の実家は 必ずしも裕福とはいえなかった。しかし彼女は、若い頃からお洒落だぅたようで、年老いてからも、服装、髪型、化粧、と心配りをしていた。色白く、美しい方であったと思う。実母は、家の生業を助けるために格好かまわずに、はたらき 学び女子師範学校を出て、教師になった。

 正直、姑と暮らした経験はないので、ははへの感謝となると実母が勝る。致し方ない。お姑さん、ごめんなさいね。

 長女から、ラインで、産んでくれてありがとうと、送ってきたけれど、さて、産んでよかったのかしらと。ふと、首を傾げてしまう。産まれたが故に、苦しみも悲しみも、味わう羽目になった… 

 ラインで送ってくる程度だから、まぁそこまで、深くうけとめなくても、いいかしら。しかし 感謝されるほどのことは、してないようだ。とりわけこの数年、ともすればこちらが、彼女を、頼りにしてしまいそうになっている。おっと これは 気をつけなければならない。

実母が、長女である我が姉を、頼りにしていたのは、よく知っているが、そのことを、姉は、責任感とやらで受け止めて、よく、母の要求に応えてきていた。しかしある時その絆が、切れてしまう。姉は、最近、亡くなった母への、恨みつらみを私に語るようになった。娘によっかかりそうになるとき、その事実か、私を戒める。

 最後まで母親としての立場を、保ちたい。認知症になっても、寝たきりになっても、私のことは構わずに施設にお願いしてほしい。そのために、介護保険は、苦しくても払い続けるから。

頼むから、年老いた私を、介護したり世話するために自分の生活を、削るのはやめてね。

自分の人生をしっかり生きて下さい。貴女、結婚しそうにないし、さすれば、多分 貴女が、母になることはないだろうから。できたら、遅くても母にはなってほしいけどな。

 次女様は、母の日の「は」の字も口にせず、目の前で、口を開けて、寝ています。仕事たいへんなのね。

わんこの名前

シードと言いました。

女の子でしたが、真っ黒くて、やんちゃだったので、皆さん見た目で、 男の子だと思われるらしく とりわけ ななちゃんのおっちやんは最後までシード君と、呼んでくださいました。私ですら、ついつい男の子?という気になりがちでしたから、S'he is a dog.の、sheにこだわって英語の辞書で、she近辺を、パラパラと探しました。そして seedに落ち着いたわけです。種。

娘達は、種子(たねこ) ね、と承知してくれました。

でも 名前の由来は、あまり深く追求されていません。対案も無かったような気がします。不思議です。

種子の名前で、署名活動にも1〜2回参加させたことが、ありますが…ごめんなさい。

実は、

一月の末、兄が、急死した。

信じられなかった。今でも、「何故」という疑問詞しか、出てこない。

四人兄弟で、末っ子の私を、兄は、可愛がってくれた。

と、思う。

 なくなる前、なぜかそれまでになく、頻繁に、兄に会っていた。大阪駅の改札で待ち合わせて…

お金に困っていた私を、他の兄妹には、内緒で、助けてくれた。

その後に、ワンコの死。

さらに仕事は失う。

失うといっても定年なんだから、理不尽なことではないけど、

 今年はなんて年なんだと思う。

自分の、行く末が、不安で仕方ない。

考え方を変えれば新しい人生が、始まるということかもしれない。

けど…