沈丁花のつぼみが膨らんできた

去年の暮れから、ボチボチと、膨らみ 少し色づきはじめていた沈丁花

もうあと少しかな。

大学院に、通っていた頃は、二月にもなると、早々に咲いていたような気がする。

大学の南門に、続く道は、日当たりも良かったからだろうか。

道端で見え見えに、咲いているのにだれも、気に留めていない感じの沈丁花

でも、香りが、黙っていない。

咲いてまっせー、と言わんばかりに…


それに比べると我が家の沈丁花は、いつもゆっくり咲く。二月の末になって開き、三月中は、楽しめた。

去年は、シードが、亡くなった日、三月二十一日には、まだ、香り高く咲いていた。

 残っていた花々を、すべて摘んで彼女のお供に、一緒に、埋葬した。

彼女が、家の前で車椅子でぶらぶらする時には、よく、沈丁花の茂みのところへ行って鼻を、突っ込んでいた。

何が、楽しみだったのわからないのだが、お楽しみの、場所だったらしい。

もうすぐ一年になるのか…

過ぎ去った日々は、速い。そして、忘れてしまったものも、多い。

こんな花などによって過ぎた日々が、蘇ってくる。


春になって緑化市が始まったら、沈丁花の苗を買いに行こう。そして、彼女のお墓のところに、植えようか。

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これは、去年の写真。




悩み尽きない日々

詳しくは言えませんが。

色々な、悩みを抱えています。断とつは金の悩み。

でも、以前 北野タケシさんが、「色んな悩みの中でも金の悩みは、一番ましよ。」と言っていた。

お金のある貴方だから言えることではないかしら…と、思っていたのですが、時々、そうかも。と、想うこの頃です。

でも、苦労に変わりはありません。

そこで、苦し紛れに、頼るのは、占いです。

石井ゆかりさんの、星占いを、毎日チェック。

今週の星読みも。

ただのものは、全て。

でも、当たりません。

全く…当たりません。

でも、いいのです。

彼女の書き方が、優しい。希望を持てるような、書き方をなさるのです。だから当たらなくても、また、見たくなります。

そもそも12個しか、星座ないのに、70億の人が、12分の一にしか 分類されないのですから。

5億8千万の人々が、同じ運命ということになる。

ありえへん。



ほかには、易占い

タロット

四柱推命


先の見えない不安と向き合う時に、心の友にするべく、様々な占いを開くのですが、石井ゆかりさんの占いは、一番心温かく感じる。


占いの中で、

何が面白かったかというと、

初回、無料。とか、

今だけ無料。とか、期間限定無料。などというキャッチで、誘う占いコーナー。

一度試したことがあって、その後が、しつこかった。

いや、笑た。

さまざまな、霊感、霊能者、さらには、得体の知れない神の使いというものから、兎に角、お誘いがあります。

「今 貴方には、想像を、絶する金運が舞い降りています。#月#日☆時までに**すれば、その莫大な金運を手に入れることができます」

よくも、こんな、物語を、様々 作れるものだと感心するばかり…

あんな話

こんな話

この想像力、いや創造力を 別な活かし方したならば、印税で暮らしていけるのではないかと思うくらい…



例の弁当箱。続き。

娘はNo problenと言って帰ってきたが。実は、ちょっと、困ったことが、一つ。

開けにくい。

戻った弁当箱を洗うために、開けようとして、四苦八苦。

無理に開けたら
バサァっと、中身が、弾け出しそうなくらい開けにくい。

(幸い、中身が飛び出すような事態には、まだなっていないが。)


最大の難点だった。

弁当箱

下の娘が、「お弁当要らない。」と言う。

金欠なのに、外ごはん?と聞くと、「重たいし、嵩張るし…」

お昼を抜くわけにはいかないでしょうということで、

「じゃあ おにぎり。」となります。

おにぎりだけでは、心もとないので、何か良い方法は…と考える。

以前、某TV番組で、

漏れにくい、薄型の***という弁当箱を、紹介していた。そのミニ版は、長財布くらいの大きさで、カバンに収めやすい、といううたい文句であった。

紹介されていただけで、勧められていたわけではないけれど、こころ惹かれていた。

日頃より、彼女が、使っていた弁当箱は、風体だけで、結構ズシリときて重たかったし、二段なので嵩張るし、やや、不満を持ちながらの弁当持参であった。


そこで、思い切って、通販で、買いました。

実物見て買いたかったけれど、店頭ではなかなか見つけられなかったので、仕方ない。


来た。

ん?

割におっきいな。

おもてたんと違う。

重さ測ったら、旧来の弁当箱と、同じ重さだし。

それにこんなでかい長財布を持つ人おるん?


注意書き。


汁漏れがしないというわけではありません。

ビニール袋に入れて下さい。

…確かに「漏れない」とは、書いてない。漏れにくいだけなんだけど、最初耳にした時は「漏れない」と聞こえたのだ。心理的なもの。

 そして、

常温に冷ましてから蓋をして下さい。

常温に冷めるのにどの位時間がかかるか、御存知ですか?

弁当作るのに、どれだけ早起きしなあかんのですか?

冬場の常温と、夏場の常温は、20度くらい違うんですけど、何を基準の"常温"ですか

  

うううう〜ん。

またか。

よくあることよ。

宣伝に過剰に感動する癖。

実際に、手にして 失望すること、多々。


娘が 流石に気を使って、

「この薄さは、良いね。」

「カバンに立て入れできるやん」

と、利点をいくつか強調して、受け入れてくれる。


で、今日、薄型弁当デビュー。


ビニール袋に入れるのを忘れた…

長財布というより、本一冊分。

代わりにカバンから、電子辞書が放出されていた。

帰って来たらなんて言うかしら…



信じられるか?67年も生きたなんて…


スーパーブルーブラッドムーンの日。

誕生日。

67回目にして、その年月を改めて考える。

小さい頃は、宮下の橋の下から拾ってきたとか、言われていた。

いつか、本当の母親が、迎えにきたらどうすれば良いのか真剣に考えた。

どんな人だろう。お金持ちかしら?美人かしら?優しいかしら?想像できなかった。

出来たらいっそのこと、何処か外国の王様の子供にして欲しい。その方が想像は、膨らむ。絵本みたいに… 

しかし、

嘘はばれる。

なんで、末っ子は、こう言う嘘に翻弄される羽目になるのか。

嫁ぎさきの、おとんぼも、どこかの川原で、拾ってきた。と言われていたらしい。



その日は、天気晴朗で、雲ひとつない晴れの日だったと言う。確かに1月31日は、晴れの特異日のようだ。

その明るい日の正午過ぎ、産まれたらしい。

近所の口うるさいおばさん達が、「真昼間にお産てなぁ」と、陰口叩いていたと、母は言う。

余計なお世話だ。いつ産まれるかなんて、制御する方がおかしい。


19の誕生日に、絶望感に苛まされた。

もう戻れない。10代には…

決して後戻りできない。

自然界の理。

そして、その延長線上に必ずあるはずの、40代、50代など、想像できなかった。


しかし、結婚して、家庭を持ち、家族の日々の事柄に、ひたすら向き合っているうちに、気がついたら60代になって…いた。


それは、生きていた証拠なんだろう。

浦島太郎だ。

ある日突然、気がつく。

自分が夢中で、ここまで来たことを。

遊んでこようが、仕事して来ようが、何して来ようが、

はっと、

浦島太郎は、玉手箱を開けたんだ。


でも、そこで、悲しんだり、怖気付く時代では無くなった。


新しい玉手箱を、手に入れよう。次はいつ開けるかな。



あっという間に日々が過ぎ…

兄との突然の別れから一年。


その日は火曜日、近くのスーパーの特売日。荷物抱えて スーパーのレジに並んでいると、携帯に電話。

兄からである。

すぐには出られず、折り返しかけることにした。

コールするが、出ない。


以前、兄から、電話があって、折り返しの電話をしたら、「ああ、ごめん。間違いだよ。」と。


もう一度、コール。出ない。

三回目くらいに、流石に何かあったのだろうかと、不安が、よぎる。


私は 生来の心配症で、ちょっと心に引っかかることがあると、勝手にあれこれヤバいことを想像する癖があるので、

 イヤイヤ、そんな事はない…

と、不安を打ち消してみる。

それでも

気になりながら、スーパーでの買い出しから帰宅すると、姉から電話である。


今日は、何かの日やったかな…と思うまもなく


「〇〇が、死んだ。」(〇〇は、兄)

という一言が、飛び込んできた。


私、さっき兄ちゃんから、電話もらったとこやねんけど…


出勤途中、電車の中だって


今、Sさんから、連絡があったよ。(Sさんは、兄嫁。義姉さんの事。ご多分にもれず実姉との間は、決して穏やかではない。)


当時兄は、明石にいた。明石の工場に、半分単身赴任状態で、義姉は千葉の自宅マンションと、明石を行ったり来たりする生活をしていた。最近は、身体の調子を壊して 明石で 病院に通っていたらしく、その日も、病院に、電話があったという。


パパが、病院に電話してくるなんて、何か急用かしら?と思ったんです。


それはパパ(兄)からではなく、救急隊員からの電話だったのだ。


私への電話も、救急隊員からのものであろうということになった。


そうでしょうね。


姉は山口、もう一人の姉は、東京。私が一番近くて、大阪。


でもね、救急隊員は、私が一番近くにいるなんて、知るよしもなかろう。

義姉に連絡がついた後なら、私に電話かける必要もなかろう。

苗字も違う私に電話するかな…



あの電話、やはり兄ちゃんから、私への電話だったのではないかと、時々思う。


兄と私は時々、大阪駅で待ち合わせて、ランチをすることがあった。


 1月31日は、私達の母の命日で、因果なことに私の誕生日なのだ。

その、1週間前の1月24日に事が、起こっている。


母の13回忌を前にして、私に話したいことがあったのではないか

娘が、2週間ほど海外研修に行く話を昨年末にしていたので、研修から帰ったら、娘達も交えてまた会おうとも言っていた…


歳いってからの兄妹との繋がりを喜んでいたふしがある。

他の二人とは、気楽に会える距離では無いから私を誘っていたのではないか。

色々気にかけていてくれた。

他の二人に比べると、経済的にもおぼつかない末っ子…


確かめようの無い話。


反魂香とやらを、

どなたか下さいませんか…












多分全ての受験生が、ひっくり返った日。

1969年1月19日

奇しくも今日は、49年後のその1月19日。


東大安田講堂事件。警視庁機動隊が、東大安田講堂に籠城していた全学共闘会議の、封鎖を解く。


文字にすればこれだけなのだが、封鎖に至るまでには、壮絶な攻防が、繰り広げられていた。

火炎瓶、催涙ガス、放水…

国家権力相手に学生が勝てるわけもなく 結果は早々に 分かっていたはずなのだが。


その朝の、加藤総長の、「本年度の、東大入学試験は中止します」という会見放送。

私たちは、試験のためにすでに自宅学習という休み体制だったけれど、すぐに高校に集まった。

志願先をかえなくてはならないか?それとも受験せずに浪人するか?


ラ・サールのトップの生徒には、早、新聞社が、取材に来たらしいとか、

東大受験組は、京大に流れるやろ。

影響受けるのは、京大だけ違うよな、玉突き事故みたいなことになるよな…

などなど

とにかくどうしていいのかわからずに、不確かな現状把握、不安、

ても、誰もが自分からどうするとは言わずにその日は、帰ったと思う。


東大の、願書に貼った写真を、ペリペリと剥がし、もうどこでもいいやと、思っていた。


東大は、ギリギリのラインでの受験。

絶対にミスしないぞという決意と、大丈夫、必ず合格するという根拠のない自信。

実力以上に、厚かましさだけでの、出願。


しかし

自惚れ強い自分でも 流石に 京大に振り替えられるほどの実力はないと、自覚した。


じゃあどこ?


もうどこも合格する自信が無い。

データが、自分の中にないからだ。


どこでも良いので合格しそうな所でおねがいします。

関西圏に、頼れる親戚はいなかってので、大阪も神戸も怖かった。

九州からは、出たかった。

一年浪人は、諸事情のため、できなかった。必ず合格する所…

あーでもないこーでもないと考えるのもうっとおしく、どこでも良いからと、結局 親に決めてもらったようなものだ。



長い間忘れていた受験の思い出。